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「セクハラ被害者バッシングを許さない4.23緊急院内集会」に参加しました!

今日は「セクハラ被害者バッシングを許さない4.23緊急院内集会」に行って参りました!!

集会中、主催者からは200名以上の方が集まったと報告がありましたが、実際は300人ぐらいいたんじゃないかなという盛況(混雑)ぶり。

財務省および福田(前)事務次官に対して行われた告発、そしてあろうことか、被害を訴えた取材記者の方に対してバッシングが向けられるという事態に、多くの方が怒りを表明されていました。

2018自由と生存のメーデー実行委員会も、この問題についての緊急声明とともに、5月5日の集会について記載されたチラシを配りました。

「被害に晒されている」人を孤立させない!!

me too を with tou へと転換させようとの呼びかけが行われ、熱気いっぱいのうちに集会は終了となりました。

 

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フリーター全般労働組合の私物化を解消させ、プレカリアートによる民主的な「2018自由と生存のメーデー」を実現しよう!

権力と資産を持つ者によって、自らの<生>の充足と安定を奪われている全ての皆さん!

私たちは、「2018自由と生存のメーデー」をともに開催するために、実行委員会を組織した有志の集まりです。私たちの中の数人は、フリーター全般労働組合の組合員であって、自由と生存のメーデーの取り組みとともに、組合の活動にも長らく携わってきました。

2018年の自由と生存のメーデー開催にあたって今般、極めて例外的な事態が起き、成功裏に開催を迎えることができるのかどうか危ぶまれる状況が生じています。すなわち、このメーデー実現のための会議の呼びかけ主体であるフリーター全般労働組合が、私たち実行委員会を「私的なあつまりにすぎない」と断じて、否認するという異常事態が起こっているのです。
そしてこうした混乱の本質は、フリーター全般労働組合における現執行部の非民主的な運営と組合の私物化によってもたらされているものです。
私たちはここに、このような状況が生じるに至った経緯を明らかにするとともに、2018年のメーデーを成功裡に実現するため、そしてフリーター全般労働組合に生じている異常事態を正常化するために、幅広い関心とご支援、参加を要請するものであります。

そもそも「自由と生存のメーデー」はこれまで、フリーター全般労働組合が準備会の呼びかけを行い、そこに集った有志の方々と、その年毎に実行委員会を結成するという形式をとることを常として開催されてきました。
例年では、2月には組合内の準備会議がもたれるところですが、本年は、1月と2月の定例執行委員会においてメーデーを今年もやることを決定した旨が、同委員会の議事録で報告されていますが、準備会議に向けた具体的な呼びかけや働きかけは、3月中旬になっても執行部から行われることはありませんでした。
このような状況に危機感を覚えた組合員の有志は、準備会議を持つことを組合メーリングリスト上で呼びかけ、3月23日にその会合を、フリーター全般労組事務所にて持ちました。【※1】
その後私たちは、この準備会において話し合われた内容に基づいて、第1回実行委員会会議を開催することを組合内外に対してメール等を通じて呼びかけ、3月31日、第1回実行委員会会議をフリーター全般労組事務所にて行いました。【※2】
さらに私たちは、メーデー実として話し合った内容や決定された事項などを執行委員会に報…

【緊急声明】「正しさの帝國」で―財務省セクハラ事件に対する緊急声明

「外部に情報を渡すことは問題」
「前後の文脈がある。全体を見てくれ」
「告発された側にも人権がある」
「名誉毀損にあたる可能性がある」

どれも最もなことだ。
ヤツ等はいつだって「正しい」。

彼だって、別にセクハラを認めたわけじゃあ、ない。
次官様は「辞めた」のであって、「クビになった」のではないのだ。
ハラスメントを告発する者(あるいは被害者)に、私たちの「社会」が求めるのは、次のようなことだ。

・それがセクハラであることを、誰もが納得する「事実」として公にすること。
・その「事実」をもとに、加害者にそれを認めさせること。(もちろん、「自分の声は自分の体を通じて聞こえるからわからない」とか、「女性が接待する店での言葉遊びかもしれない」とか、「相手の声が入ってないから、いつのことかわからない」とか、そういう弁解に対し、すべて論拠をあげて反証しなければならない。――だいたい「言葉遊び」が御品書きなんて店が、一体何処にあるって言うんだい?)
・可能でれあれば加害者に、それが「セクハラ」であること、つまり、自分の持っている尺度が、他者に対して暴力として発言することがあることを認識させ、悔い改めさせること。

ハラスメントを告発する者(あるいは被害者)に事実上要求されているのは、かくも困難な事柄である。

このような環境を今、仮に「正しさの帝國」と呼ぶことにする。

「正しさの帝國」において、「正しさ」とともにある者たち告発しようとするとき。
「正しさの帝國」に連ならぬ者に出来ることは、土台、次のようなものだろう。

・「内部の抑圧に屈せず、外部と連帯すること」
・「前後だとか、全体だとかに捉われず、事実を視る、その視点のあり方を問題にすること」
・「人権は、それを訴える力や財産、能力、社会的地位を持つ者に有利に保障されているという現実を認識すること」
・「毀損される“名誉”とは、一体どのような者たちのものであるのかを問い返すこと」

いつだって、「正しさの帝國」の真っ只中で、これを保持し続けられた者だけが辛うじて、ヤツ等の「正しさ」を告発しているのである!
それは「勇気」なのだろうか?信念なのだろうか?

「正しさの帝國」に列ならぬ私たちの道のりは、厳しく、長い。

「ハラスメントされるのは仕事じゃない!」

「正しさの壁」に囲まれたこの世界で、その壁の向こうの者たちとつながろう。
暴力…